2005年01月

津波チャリティ

 26日ラッカム講堂にて津波チャリティで踊った。イベントはトータルで1時間半ほど。俺とパマディが踊ったのは15~20分程か。狭い楽屋に出演者がギッシリ。便所の片隅に新聞広げて白塗り。
 今回、メインで出演していたインドネシア舞踊のディディックさんもパマディと同様、カツラカン氏と踊った事アリらしい。
 4月23日、この劇場を押さえてはあるのだが、此処はなかなか使いづらい。照明吊れない、袖がない、舞台狭い。だが雰囲気はいい。生徒の公演は4月1日、15、16日にビデオスタジオにて、と決まったので、 此処で何かやるもやらないも勝手なのだが、その頃はパマディは自分の企画で忙しくなるらしい。どうしたものか。先の事だが、何かやるなら今の内から手を打つ必要もある。その頃、クラスの公演が終わって、自分達の準備に取り掛かれるほど余力が残っているとも思えないが(笑)。
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明日

 明日は津波被災者救済募金イベントで15分ほどパマディと踊る。他にも五組ほど。インドネシア舞踊やらガムラン演奏やら、いろいろらしい。募金が集まるといいが。
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写真・・・・隣町イプサランティの夕暮れと、食事会。
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フリント

 今日はアナーバーから車で一時間ほどのところにあるフリントキャンパスでパマディと踊ってきた。例によって殆ど段取りも何も無いインプロヴィゼーション。俺が使った音はエリックの曲にジミヘンアメリカ国家を混ぜたもの。曲は良かったが、踊りは駄目駄目。何か守りに入っている。心機一転乾坤一擲一撃必殺。寒い。昨夜はマイナス15度。
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写真・・・・フリントのダウンタウンと現場にて。
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長崎ぶらぶら節

 なかにし礼『長崎ぶらぶら節』をよんだ。 俺はあまり本を読むほうではないから、ちょいといい話を読むと感動してしまう、多分。 この小説がはやった頃にはあまり読みたくなかった。 なかにしさんということもあって、すごい宣伝がされてもいたし、多分何か抵抗があった。 でも今読んでみると、この歌が聞いてみたい。 映画や舞台、ドラマ化されたらしいが、解説を見たら市原悦子さんがドラマの主演をやったとか。 今更読んだのでその顛末は知らないけれど、市原さんの愛八(主役)のドラマは見たかったな・・・ などと思う。 愛八が歌った長崎ぶらぶら節と浜節はぜひ日本に帰ったら聞いてみなければ。
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生首に聞いてみろ

 法月綸太郎『生首に聞いてみろ』を読んだ。「生首に聞いてみろ」は今年度ミステリー第一位とか。俺はどうしても話し自体が面白い方が好きだったりする。ネタをどのように弄繰り回すか、どういう切り口で見せるか、はたまたどういう風に文章自体の構成をある意味パズルのように扱って、いわばアートたらしめるかという近代以降の小説のあり方の面白さが読者としてはイマイチ楽しめない方だ。それでも筒井康隆の言う事などは何となく判るし、俺たちがやっている表現という奴もこの辺から逃げられなかったりする。なーんてえらそうに言って、良く判っていないだけなのかもしれないけれど。ミステリーでも謎解きの斬新さというのがやはり一つの見所なのだろうが、俺個人としては話があまりピンと来なかった。こいつは唯の好き嫌いだけど、別に評論家でもないしいいや。ただ、ネタとなっているジョージシーガルから始まる、ライフマスクを取る話、これは面白かった。ジョージシーガルは人の鋳型を石膏で取って作品にしていた人らしい。いや、俺は不勉強で良く知らんが、とっても有名な人なのでしょう。そして美術史的に重要なのかな? そんで、ご存知の通り、ライフマスクの顔をカタドリするときに、どうしても避けられないのが、モデルが目を閉じるという事だと。そりゃそうでしょう。で、だからなのか、元々そういう意図なのか、シーガルのテーマが祈りになったと。なるほど、目を閉じる人の顔を持つ人体は祈りをささげているように見える・・・あれ?そこでふと思った。祈るときに目を閉じるかな・・・・・?俺個人で言うと、両方ある。色々考えて分類するとこうだ。
 
 ・目を閉じているとき。この時瞼は閉じているが黒目、すなわち視線は前方に行っている時。これはただ瞼を閉じているだけで思考としてはいつもと同じ。ただ、余計な情報を排除している。
 
 ・目を閉じ、なおかつ目の玉が上を向いている(寝ているときと同じ)時。こいつは完全に自分のインナースペースに集中しているときか。
 
 ・目を開いているとき、なおかつ具体的な一点に視線を集中しているとき。仏像やら、ピエタ像やらをおがむときはこれだろう。 旧約聖書の時代にさかのぼれば偶像崇拝は禁止されているが、モーゼが十字に組んだ枝に蛇を絡ませたモノをいわば信仰の対象として掲げたというくだりもあるとか?偶像の発明と言葉の発明というのは、多分同じような意味を持つのだろう。
 
 ・目を開き、なおかつ思考がある一点に集中しない、拡散または空っぽになっているとき。

 目を閉じるというフォルムがそれ自体ステレオタイプとしての祈りの型になりやすいのは良く判る。が、たとえば俺が祈る(俺は神を信じていないが)とするならば目を開け、空っぽになり、何かの啓示もしくは何かがやってくるのをただ待つ、ということになりそうだ。その為の心身の状態をいかに作るか、いかにただそこに存在するのか。
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